消防士長 新納史久氏
防災出前講座
第一部 消防士長 新納史久氏
1995年阪神淡路大震災当時小学校五年で被災
その後都道府県を超えて災害派遣ができるようになった。
東日本大震災では第一陣として京都府からは約100台で駆けつけた。
移動だけで通常12時間ほどのところ26時間かかった。
福島県に入った途端、まわりは真っ暗で携帯電話も繋がらない。
まわりは瓦礫の山で車が津波でグシャグシャになり自動販売機程度の大きさになっていて、自衛隊が既に車だけでも通れるようにしてくれていた。
我々は要救助者の捜索をしていたが、子供の亡骸を目の当たりににして胸が締め付けられた。
そんな中、順番を守ってスーパーに並ぶ被災者を見て日本人の秩序を守る姿に感銘を受けた。
熊本地震では第二陣として要共助者の捜索をしていたが土砂崩れの後を手掘り(スコップ)で掘って探した。自衛隊や警察と共同で人界作戦である。
生きていている方を救いたいとの思いから機械を使わず手作業ではあるが必死になって探した。
平成30年の豪雨災害でも第六陣として参加。
土砂崩れのあとをドックサーチ(災害救助犬を使って捜索)により探した。
水害は被害を更に大きくする。
災害発生時、携帯電話が使いものにならない。
家族や地域のルールが必要。
顔のみえる関係〜情報や連携がとても大切。
活字やテレビで防災を理解することも大切だか、経験者の生の声を聞くと、胸に響くし、説得力が違う。
家族や町内でもこういう機会を増やして日頃から良く話あっておくことが大切だと思います。